第5回勉強会 LGBT×日本の歴史

こんにちは、創価Rainbow Actionsです!

11月17日に第5回目の勉強会を行いました!

テーマは「近現代及び江戸時代の同性愛の歴史について」でした。

そもそも近現代とは、日本史において第二次世界大戦終結~昭和末期(1945年~1989年)を指します。今回は近現代の歴史について憲法や法律と絡めて学びました。


同性愛についてよく話題にあがるのが憲法の24条です。


【憲法24条】

婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。


この条文から、同性婚は憲法に反しているのか否かを議論しました。

条文における、「両性の合意」の両性に男同士、女同士という意味が含まれているとしたら、同性婚はむしろ合憲であり、同性婚を保護しないと違憲になるのではないか。条文では、同性婚についてなにも否定していないから、むしろ肯定的なのではないか、という意見があがりました。


憲法の解釈の仕方によっては同性婚は違憲ではないのに、なぜ法律上同性婚が認められていないのでしょうか。


その背景には、戦前につくられた民法や戸籍法が、同性婚を想定していなかったことがあります。法律では、結婚するためには「男女」が婚姻届を出すとされており、同性同士の場合、婚姻届を申請する対象とされないのです。

以上のように、憲法や法律が作られた当初は同性婚は想定されていなかったことがわかります。


では、同性愛は戦後初めて認識されるようになったのでしょうか?


答えはNOです。

江戸時代では、「男色」という文化があり、男同士に限りますが、同性愛が良い文化、ステータスとして認められていました。しかし、明治維新以降にキリスト教の価値観が流入したことによる同性愛への異端視や、南九州で盛んに行われていた学生間の男色行為の影響が大きくなり、男色行為の一部が刑事罰の対象とされるようになりました。

その後、大正・昭和初期になると刑事罰の対象ではなくなり、各地で男色が復活しました。


このように、同性愛は昔から存在していたんです!


少し長くなってしまいましたが、以上が第5回勉強会の主な内容です。


歴史と絡めて考えてみると、新しい発見がありますね!

近年では、世界各国で同性婚が認められる流れになっていて、とても嬉しいです!直近では、オーストラリアで同性婚を認めるかどうかの国民投票が行われ、賛成派が約61%と、半数を超える結果になりました!オーストラリアのマルコム・ターンブル首相は、「クリスマスまでに同性婚の合法化を実現できるように努力する」と公式ツイッターでも動画を流しています!

日本でも1日でも早く同性婚が認められることを願っています。

最後までよんで頂き、ありがとうございました!

次回の更新をお楽しみに!

2017年11月17日 創価 Rainbow Actions

創価 Rainbow Actions

LGBT当事者をはじめ、すべての人がありのままで生きることのできる社会の建設を目指して

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